仕事をやめて新しいことにチャレンジしようと決意できたことに大きく寄与していると思っている自分自身の変化があります。
それは、「他人軸の人生→自分軸の人生」という変化です。
過去の自分は、ひとことでいうなら他人軸で生きていました。
自分の行動で相手がどう思うかについて異常に怯えていたように思います。
自分の意見を相手に伝えるのは、恐る恐る、という感じで。
文面が相手にどういう印象を与えるかを意識しすぎて、メールを打つのも非常に遅かったです。
結局は我が身可愛さなんですけどね。
嫌われたくないとか、完璧でありたいとか。
そのことに薄々感づいていながらも、結局誰かから敵意を向けられるのはツライので、他者からの評価をいちいち気にしている感じでした。
おどおどしているとか、出方をうかがっているとか、そういう態度は見る人が見れば一発で見破られます。
ですので、結果として、相手を不快にしたり「こいつ使えないな」みたいに思われたりすることが多かったのではと考察します。
そして当時の私は、そういう相手の表情だったりちょっとした態度の変化にとても敏感でした。
今はかなり変わりました。
自分で正しいと思ったことをまず相手に伝え、相手がどう受け取るかはしっかり聞き取り、反省する余地があればそうする、というようなスタンスになっています。
もともとが他人軸出身(笑)なので、それなりに相手に気を遣えているという自負はありますが。
相手に最大限気を遣った結果、相手がそれを好意的に受け取らなかったとしても、最終的には自分が自分の言動に納得できれば後悔無い、という考え方です。
私自身が非常に楽ですし、相手の反応も、明らかに昔より良いように感じます。この変化が無かったら、今のようには一歩を踏み出せてなかっただろうと思います。
仕事をやめて新しいことにチャレンジしようと決意できたことに大きく寄与していると思っている自分自身の変化があります。
それは、「他人軸の人生→自分軸の人生」という変化です。
過去の自分は、ひとことでいうなら他人軸で生きていました。
自分の行動で相手がどう思うかについて異常に怯えていたように思います。
自分の意見を相手に伝えるのは、恐る恐る、という感じで。
文面が相手にどういう印象を与えるかを意識しすぎて、メールを打つのも非常に遅かったです。
結局は我が身可愛さなんですけどね。
嫌われたくないとか、完璧でありたいとか。
そのことに薄々感づいていながらも、結局誰かから敵意を向けられるのはツライので、他者からの評価をいちいち気にしている感じでした。
おどおどしているとか、出方をうかがっているとか、そういう態度は見る人が見れば一発で見破られます。
ですので、結果として、相手を不快にしたり「こいつ使えないな」みたいに思われたりすることが多かったのではと考察します。
そして当時の私は、そういう相手の表情だったりちょっとした態度の変化にとても敏感でした。
今はかなり変わりました。
自分で正しいと思ったことをまず相手に伝え、相手がどう受け取るかはしっかり聞き取り、反省する余地があればそうする、というようなスタンスになっています。
もともとが他人軸出身(笑)なので、それなりに相手に気を遣えているという自負はありますが。
相手に最大限気を遣った結果、相手がそれを好意的に受け取らなかったとしても、最終的には自分が自分の言動に納得できれば後悔無い、という考え方です。
私自身が非常に楽ですし、相手の反応も、明らかに昔より良いように感じます。この変化が無かったら、今のようには一歩を踏み出せてなかっただろうと思います。